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kaminn1117

ミソノピアの風に漂いながら



エッセイ


懐想譜/大江健三郎その2

     光くんのこと 

 

 

             

 kaminn


若い日の大江健三郎


大江健三郎には知的障害を持ったご子息の光くんがいる。 生まれつき後頭部が瘤(こぶ)状に膨らみ脳がはみ出ていたのだ。 医学的には 脳瘤(のうりゅう)と呼ばれ、出産前に医師から生まれてくる子が脳瘤で、生涯植物状態であろうことを告げられる。

 

その子供を産むか産まないかという選択を迫られた大江夫妻は、光くんを喪ったら自分たちが「生まれて、生きてきた意味がない」と、困難が待ち受けている光くんと「共に生き、光くんを中心の暮らし」を決断されたのだ。




その決意には私のような凡人には、はかりしれない崇高で深淵な人間愛があるのだろう。

 


生まれてきた光くんは医師からは目が見えないと告げられて「光」という名がつけられた。次には「耳」が聞こえないとまで言われ、言葉を発することはなかった。

 

その後、目が見え耳も聞こえることがわかった光くんが、はじめて言葉を発したときの感動的な話は、大江が繰り返し語っていた。

 

当時の光くんが、唯一興味を抱いていたのが野鳥の鳴き声であった。

それはまだ言葉を発せなかった光くんが大江と北軽井沢の林を歩いていたときのことである。二人には、いろんな鳥の鳴き声を耳にしていた。


そのとき、光くんが突然、

 

「クイナです」

 

と言った。






光くんの最初の言葉は野鳥の「クイナ」の鳴き声に反応してのことだった。それをきっかけに光くんは、聞こえてくる鳥の名を次々に喋りはじめた。光くん6歳の夏のことであった。

 

がしかし、大江の奥さんの大江ゆかりが書いたエッセイ「揺りかご」のなかでは、光くんはすでに1歳なかばで言葉を喋っていたというのである。

 

【光が一歳半になった頃、いつものように、抱っこして寝かしつけていた私は、昼間の疲れで、「ねんねんころりょ……」まで歌うと、次が歌えなくなってしまいました。すると光が、何やらぶつぶつと呟きはじめたのです。気をつけて聞くと、それは子守歌の続きの歌詞なのでした。これがきっかけで、童謡のレコードを聞かせ始めると、どんどん歌を覚えてゆきました】

 



これはどういうことか。

つまり1歳半の光くんが発した言葉は、ただのオウム返しのそれであり、6歳のときのそれは、言葉の背景にはあきらかな自発的な思考があったということであろう。

 

その後、重度の障害を抱えながら、人とのコミュニケーションも上手くできない光くんには数多の試練が待ち受けることになるが、両親から日々深く温かい愛情に包まれながら光くんは育っていくことになる。

 

                           















  









                    つづく 

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