謹賀新年 2024
エッセイ 「龍」
kaminn
年の初めなので「辰年」にちなんだ話を少々。
「たつ」には龍・竜・辰があるが、辰年の「辰」という字の語源は諸説あるが、
「振」(しん:「ふるう」「ととのう」の意味)という漢字からきていて、草木の形が整った状態を表しているとされる。
後に覚え易くするために神話動物の竜が割り当てられた。
干支の五番目に出てくる「辰(龍)」は中国で創り出された想像上のイキモノで、十二支のなかで唯一架空の動物だ。
龍のカラダはいろんなイキモノの強いところや美しいところを集めて創ったという。
角は鹿、眼は兎、頭は駱駝、身体は蛇、腹は蜃(しん/竜に似た伝説の生物)、背中の鱗は鯉、爪は鷹、掌は虎、耳は牛という。
中国の龍の指は「五本」あるが、日本の龍の指は「三本」。
日本は中国の華夷秩序(かいちつじよ)のもとで蔑(さげす)まれていたから、龍の爪は三本しか許されなかったからという。
しかし現在日本で造られる龍の指は三本・四本・五本とさまざまのようだ。
辰年ということなので、いつか中国で求めた「龍の連凧」の話を再録しよう。
「うれしがる龍」 初出2007
天井を見あげると、睨(にら)みつけるものがあった。
電気ポットから水蒸気がいっせいに噴きだし、立ち昇る先に龍がいた。
日ごろ空気のうごかぬ部屋にあっては、天井に吊され詰まらなさそうにしていた龍も水蒸気をうけ、このときとばかり、全身をふるわせ宙に遊んでいた。
するうち水蒸気もおさまり、龍はふたたび、いつものように退屈そうな貌にもどって、うごかなくなった。
「おい、たまには遊んでくれよ」
龍は天井にへばりついたまま、また私を下目使いに睨んだ。
龍は凧として拵(こしら)えてある。上海の豫園(よえん)でもとめたもので、天井に頭と尻尾が糸で繋がれている。だから自由にうごくことができない。
自慢じゃないが、私にだって運命の糸でしっかり固定された「ココロ」というものがある。 ときどきその糸を切って心を遊ばせてやることがある。そのお陰で、私はどうにか生きながらえていられるのかも知れない。どう遊ばせるかは企業秘密だから、白状するわけにはいかない。
「心の糸は切れても、お前さんがしがみついているお金やイノチや世間様という糸は切れんじゃろ」
と、天井の龍は、いっそう私を睨みつけた。
龍の胴体は何本もの竹ひごで、百足(むかで)のようにできている。
いくらなんでも、こんなややこしい凧は、私には飛ばすことはできそうもない。万が一、空に上がったとしても、すぐに落として壊してしまうだろう。
お正月だというのに、遊んでもらえぬ龍は、だから天井に繋がれたままでも、下手に遊ばれて壊されてしまう心配がないから、内心はうれしがっているのかもしれない。
めでたしめでたし・・・
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