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kaminn1117

ミソノピアの風に漂いながら



エッセイ


「無言館」への旅

     その2

 

kaminn




無言館へ私は3度訪れている。

なにがそうさせたのかよくわかっていない。

ただ長野県上田市の山中にひっそりと建つ素朴で寂しげな建物の佇(たたず)まい、なによりも展示された戦争で描き手を失った「無言」の絵画たちに、勁(つよ)く引き寄せられる何かがあるのかも知れない。

 

無言館とはその冠称に「戦没画学生慰霊美術館」とあるように、第二次世界大戦で戦死や戦病死をした若い芸術家たちの作品を展示する場所として、窪島誠一郎が戦争の悲劇とその中で失われた若き才能を記憶し追悼する目的で1997年に設立された。

所蔵されている遺作絵画は200点、画学生数130名にもおよんでいる。

 

無言館。

20数年前、最初に訪れたとき館内は私ひとりの貸し切り状態だったけれど、館長窪島誠一郎と作家水上勉が親子として30数年ぶり巡り会うというセンセーショナルな出来事で、無言館が全国に知られるようになった現在、今回の訪館でその鑑賞者の多さには驚いた。














 



ここで私は多くは語らない。

遺作絵画のなかで強く心に残った1点の作品に触れたい。

 

それは無言館が設立された2年後の夏の日のこと、ある女性が無言館に訪れた。

女性は「その絵画」の前に長く立ち尽くし、やがて「無言館・感想文ノート」にペンを走らせた。それはそれは長い記文であった。

ここにその記文から抜粋をしるす。

 

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安典さんへ

 

安典さん、日高安典さん。

私来ました。とうとうここへ来ました。

とうとう今日、あなたの絵に会いに、この美術館にやってきたんです。

私、もうこんな(70を過ぎた)おばあちゃんになってしまったんですよ。

だって、もう50年も昔のことなんですもの。

安典さんに絵を描いてもらったのは・・・

 

そして、そして・・・

あなたが私を描いてくれた絵の前に(今日)立ったんです。

安典さん、日高安典さん、会いたかった。

 

安典さん、私、おぼえているんです。

この絵を描いて下さった日のこと。

初めて裸のモデルをつとめた私が・・・

緊張にブルブルと震えて、とうとうしゃがみこんでしまうと、

私の肩を絵の具だらけの手で抱いてくれましたね。

 

あの頃すでに安典さんはどこかで自分の運命(戦地で死ぬ)を感じているようでした。

今しか僕には時間が与えられていない。

今しかあなたを描く時間は与えられていないと。

それはそれは真剣な目で絵筆を動かしていましたもの。

 

それが・・・それがこの20歳の私を描いた安典さんの絵でした。

そんな安典さんの元に召集令状が届いたのは、それから間もなくのこと。

あの日の安典さんは、いつもとは全く違う目をしていましたね。

 

安典さんは昭和19年夏、出陣学徒として満州に出征していきました。

できることになら・・・できることなら・・・また生きて帰って君を描きたい、と言いながら。

 

今だから話せますが・・・私、実はもうあの頃、故郷には両親のすすめる人がいたのです。

でも安典さんに召集令状が届いた時、もう自分は故郷に帰らないと心に決めました。

安典さんが帰って来るまで、生きて帰ってきて、また私を描いてくれる その日まで。

いつまでもいつまでも待ち続けようと、自分に言い聞かせたのです。

 

それから50年・・・それはそれは本当にあっという間の歳月でした。

世の中も、すっかり変わっちゃって、戦争もずいぶん昔のことになりました。

安典さん・・・私、こんなおばあちゃんになるまで、とうとう結婚もしなかったんですよ。

一人で一生懸命 生きてきたんですよ。

 

安典さん、日高安典さん。

あなたが私を描いてくれた あの夏は・・・

あの夏は・・・私の心の中で、今も あの夏のままなんです。

 

 

 

                          1999年8月15日

                         無言館・感想文ノートより

 

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「裸婦」 日高安典  

 




 

 

日高安典

 

終戦の年の4月に戦死。享年27才 

 

 

 































2024年6月14日、内田也哉子さん(樹木希林の娘・夫は本木雅弘)が館主窪島誠一郎と「無言館」の共同館主に就任することが発表された。


内田也哉子は「戦争を知らない者として、また今なお戦争が絶えない世界に暮らす者として、希有な美術館の存在を皆さんに知らせていきたい」とあいさつした。







閲覧数:40回1件のコメント

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1 Comment


hiroik
Dec 19, 2024

感想文に感動


『あの夏』・・・いろんな思いが浮かんできます

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