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  • 執筆者の写真misonopia aichi

ミソノピアの風に漂いなが「人生の玉手箱が開くとき」



雑誌やネットの情報などで、中高年の著名人への質問の最後に出でくる言葉に「あなたの人生の宝物は」というのがある。


その回答でダントツに多いのは「想い出」という言葉だ。たしかに終末期を迎えている私だってしかりであり、旧友の多くも同様に答えていた。それが伴侶や家族という答えがほとんどないのも不思議であるのだが。


先日、当館の施設長に触発されて、絵本「ぼく モグラ キツネ 馬」を読んだ。

世界の800万人が感動というだけの価値がある本だ。この本に一貫して流れている精神は「人の【やさしさ】に勝るものはない」ということである。


人はやさしくなるために生まれてきたという言葉の展開にも説得力がある。なによりも絵が素晴らしい。ただ眺めているだけで癒やされ、どこか別の世界、桃源郷のようなところへ連れ出すような気持ちにさせてくれる。





















なかでも私がいちばん救われた思いがした言葉がある。

それは、


「ああ、でもみてごらん、わたしたちは こんなにもとおくまできた」


という言葉である。


それは年老いて、もう先は短いと悲しんでいる人に向かって、こう告げているようだ。


「ああ、でもみてごらん、わたしたちは こんなにも遠くまで歩いてきたんだ。そこにはながくながい物語と、たくさんの想い出があるんだ。これこそが人生の宝物だよ。他になにかあるかい?」


と。



老境に入った人たちが人生を振り返ったとき、そこには1個の「玉手箱」があるのではないだろうか。


その箱が開いたとき、なかから出て来た白い煙を浴びながら、残り少ない終末の身を哀しむか、それとも煙の代わり出て来る、ながいながい物語とたくさんの想い出を紡ぎ出しながら人生の終末を楽しむかは・・・



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