
テレビだったか雑誌掲載なのか記憶にうすいが、もう何十年も昔に見聞きしたCMの「詩」で忘れられないものがある。
ふと、なにかの拍子に灰のなかの熾火が発光するように想い出されるが、その詩のところどころは断片的に出てはきても全文は想い出せないでいた。
いま人生のラストステージに立ちながら、むかし筆まかせに日々のできごとを殴り書きしていた数冊のノートを机の上に置いては、なにげなく紐解いてみることがある。
きょう、偶然手にしたノートの最初の頁にそのCMの詩が残されていたのに驚いた。
その詩は当時の自分の心によほど響いたのだろう、ノートの一葉に大きく書き写されていた。
いま読み返すに、当時の自分とその後の人生に重なるものがあって感慨深いものがある。
この「詩」が遺っていたことに感謝する。
貧しさから逃れる為にアンダルシアを離れ
貧しいままでアンダルシアへ帰るとか
あどけなく
さばさばと喋っていた踊り子が眠っている
眠りながら泣いている
積もり積もった悲しみを
夢の中へ捨てているのだろう
人生は
絶え間なく降り積もる悲しみを
払い落としながらすすむ旅
終着駅までまだまだ遠いが
間もなく
琥珀色に輝く朝が訪れる

この詩は踊り子が夜汽車で、哀しみを抱えて故郷アンダルシアに還る光景を綴っている。
夜汽車には忘れられない想い出がある。
私がまだ小学生のころ、父と夜汽車に乗って父の生まれ故郷へ向かった。
途中、トンネルに入ると煙が入るので窓を閉め、トンネルを抜けると窓を開けた。汽車に乗れることが滅多になかった時代、そんなことがなんとも楽しかった。
遠くに眺める家々の窓の灯りが後ろに遠ざかっていく光景はいまでもハッキリと心に焼きついている。

汽車のなかでは寡黙な父とほとんど会話がなかった。
若いときはそれなりに華々しい暮らしをしていた父は、晩年はつましい暮らしをよしとしていた。6月は「父の日」だった。父に自分はなにひとつとして親孝行をしたためしがなかった。今の私にはその後悔だけが日に日に膨らんでいる。人生には歳月を重ねなければ分からないこともあることを教えられてもいる。
父は100歳まで生きると言っていたが、90歳で亡くなった。人生のハイライトの一齣たりとも語ることはなく静かに逝った。
あらゆる欲をそぎ落とし、清澄を旨として晩年を過ごした父とは似ても似つかず、いまだに脂ぎっている自分は、あの日の夜汽車の想い出を握りつつ、父が亡くなった歳まで10年切っている。
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