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  • 執筆者の写真misonopia aichi

ミソノピアの風に漂いながら「モンゴルの奇蹟 UFOと駱駝」


駱駝は力持ちで美しい動物だ。

モンゴルの駱駝は象やライオンみたいに強い。

むかし神様は駱駝に角(つの)をくださった。

ある日ずるい鹿が来て、角を貸してくれと頼んだ。

鹿は駱駝の角を頭に飾って、西のお祭りに出たいという。

心やさしい駱駝はその言葉を信じて角を貸してやった。

それ以来いつも駱駝は地平線を見つめるようになった。

鹿を待っているんだ。   (モンゴルの駱駝の伝説)


人が創り出した想像上の最強のイキモノは、十二支のなかで唯一架空の動物『龍』だ。

龍のカラダはいろんなイキモノの強いところや美しいところを集めて創ったという。

角は鹿、眼は兎、身体は蛇、腹は蜃(しん/竜に似た伝説の生物)、背中の鱗は鯉、爪は鷹、掌は虎、耳は牛。

なによりも肝心な顔は「駱駝」からきているという。



これから話すのは、その駱駝の棲むモンゴルを旅したことのことだ。

北京空港経由モンゴル行き夜十時過ぎのフライト、機中おおよそ半分ほど飛んだあたりだろうか、窓側の席で私は真っ暗な夜空を眺めていた。

日ごろ霊感の微塵も感じられない私はこれまで一度なりとも、超常現象に出会ったことがなかったけれど、もしUFOというものの物体が現れるとしたら、こんな場所かなと考えていた。

目線をなにげなく左後方の上あたりに持っていったとき、そこに小さな白光物体が制止していた。星……だろう。軽い気持ちで眺めていたら、その物体がすーっと(おそらく信じられないスピードだと思う)真下に移動した。

物体はしばらく止まっていたが、再び斜め上空にすーっと移動し停止をした。

これが噂のUFOか、テレビで観たUFOの動きとおなじでないか。

なんと白光物体はいきなり数倍の大きさに変化し、再び下空に移動し、今度は飛行機に近づくようにして上空に移動をしはじめ、そして消えた。










その間10分弱だろうか機内を見回したが、ほとんどの人は寝ており、UFOに気づいた人はいなかったようだ。

私ひとりが目撃をしたのである。

しかし私は別段驚くことはなかった。UFOとはまさに【未確認飛行物体】そのものだから球体の動きからして、あきらかに宇宙空間における何らかの物理的な現象なのだろう。


大宇宙に無数に存在すると考えられる生命体と私たちが出会う確率を考えるとき、その惑星に知的生命が存在する時間とわれわれとの時間差には限りない隔たりがありうること、さらにその惑星とのとてつもない距離を鑑みれば、われわれが宇宙人に出会う可能性は永遠にゼロに等しいと考えてもいる。

ちなみに現在確認されている地球に最も近い「地球型惑星」と地球との距離は14光年である。現在最も速い速度で宇宙空間を飛び続けている惑星探査機ボイジャーの速度でもっても、地球から地球型惑星へ到達するには27万3千年かかるという。

つまり100歳まで生きる人が、2730回生まれなおす必要があるのだ。

話はそれたが、私が飛行機の窓から見た飛行物体が自然現象であるにせよ、私には奇跡の光景であった。





モンゴルの到着後、民族衣装をまとった女性の歓迎を受けて、モンゴル相撲を見学し、移動式住居「ゲル」に泊まった。






翌早朝には草原の遠くに、ひとりの女性が遊んでいた。石でも投げているのか、それとも踊っているのだろうか、とても印象深い光景であった。



駱駝は二年に一度一頭を産むが、育児放棄する母駱駝が多いという。

モンゴルではそんな母駱駝に昔から音楽療法(※)を施す。

祈るような家族の眼差しに囲まれた屋外、馬頭琴の音色にあわせて「フース」と呼ばれる叙情歌を歌い続けると、そのうち母駱駝の目からは涙がボロボロと流れ落ち、楽器と歌声に心癒された母駱駝は子駱駝に乳をあげ始めるという。


なんと、私はその育児放棄をし音楽療法で立ち直った母親駱駝の背中に揺られることとなった。

私を乗せた駱駝を引きながらモンゴルの青年は、果ての無い高原のなかをゆったりと進みながら叙情歌を朗々と歌いはじめていた。

あらゆる文明と文化に浸食されながら暮らす私にとっては、この草原のひとときはとてつもない非日常であるのだが、なにか忘れ去ったもの、失われたものの大切さを教えてくれているようだった。

この「やさしさ」はいつまで続くのだろうか。

ホーキング博士は2017年に人類の寿命はあと100年で終了するという警句を遺した。地球温暖化は後戻りできない段階にあり、悪魔の兵器「核」を造り続けている人類は地球上最悪のイキモノでもあり、人類が開発したAIが人類の脳を超えて、人類の脅威になる可能性を否定できないという。

人類はかけがいのない美しい地球さえも道連れにしようとしている。




青年は──少年から青年のあわいに漂う歳であろうか、大平原の果てに吸いこまれてゆく奇跡ような歌声は、深く私の精神(こころ)に刻みこまれていった。


私を乗せた母親駱駝の眼に涙が滲んでいるだろうかと思いつつ、いつしか私も涙ぐんでいた。















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