エッセイ
懐想譜 2001
春に/目玉
kaminn
その日。海外の仕事先に向かうため列車に乗った。
隣の席に若い女の子が座った。足下に大きめのバックを置くと、ケイタイ電話を握りしめて向こうを向いて寝始めた。
きっと都会(マチ)へ遊びに行くのだろう。
と、目玉のぎょろっとした二度と忘れられないような顔が脳裡に浮かぶ。
目玉はいつのことだったのか手繰りよせることができぬ。二度と忘れられないと言ったばかりだのに、目玉は脳裏をかすめても、出来事はかすめないのは大したヤツではなかったのだろう。
列車の窓からは飛騨の地の吹雪が過ぎ去ってゆくのを眺めながら、幼い日々を想い出す。
「オレにはこんな青春はなかった」
となりの女の子を見ながらそう思う。
もし今に青春があったならどんなにか楽しかっただろうにと、遠い日の赤貧のときを想い出しながらも、おかしなことに、貧しいだけの青春がかけがいのないものとして蘇っている。
貧しくて 貧しくて ただ貧しくて
家庭の事情に 一切の文句も言わず
わずかなお金で見られる紙芝居がやってきても
友がこぞって囲んで見ている姿を遠目で眺め
本屋に並ぶウサギの絵本を
死ぬほど欲しくとも 欲しくとも
家にいては見なかったことにして
夜も働いている両親のいない小さな卓袱台で
冷えた食事をすませ
裕福な友が弾くヴァイオリンを真似て
ボール紙に針金を張って作っては捨て
ただ暗いだけの 殺風景な部屋に溶けこんで
独りラジオに耳を傾けていた
幼い日の生活を想い出しては涙ぐみ、それでもけっして不幸だとは思わなかったあの日の貧しさと哀しさと寂しさは、だから今の幸せを支えている、と。
列車の通路を挟んだ向かいの席の二人づれの中年女性がけたたましく喋り、けたたましく食べていた。やがて急に静かになったので見たら、二人は前の席の背もたれについたテーブルを倒し、大きな鏡を立て、鏡のなかの顔を舐めるような眼で化粧をしていた。
隣の女の子とは対照的な二人づれの姿がよけいに憎らしくおもえてきた。
途中で乗車券の検札があって、起こされた女の子はバッグをかき回して切符を取り出さした。車掌がスタンプを押して戻すと、女の子はぺこんと大きく頭を下げた。
その仕草の愛らしさに、思わす涙ぐみそうになる。
そこには私にもう手の届かぬ若さがある。
女の子もきっと私のことを、自分とは関係のない別の世界に住むご老人と見ているのだろう。それに自分が歳をとってゆくことすら考えてもみないことだろう。
列車は終点に近づいた。
向こうの席の二人のうちの一人が、けたたましい声でケイタイにむかっていた。
女の子の手にだいじに握られていたケイタイは鳴ることがなく、私をひやひやさせることはなかった。
終着駅に着き、ふと向こうの席をみると二人連れの鏡が置き忘れられていた。 二人連れに命より大切ななにかが待っていたのだろうか。
けなげな女の子は鏡を持って追いかけていった。
女の子を、そして二人連れを、浮き立たせる春がはじまろうとしていた。
ガラスのむこうは雪がなく、光もつよくなってきた。このぶんでは飛行機の欠航もあるまい。
やれやれ……ズボンのポケットからティッシュをとりだし、ちんと洟(はな)をかむ。
おおそうだ! くだんの目玉は私に風邪をうつしたやつだった。本屋のレジの私の隣に立っていた目玉は、きのう上海から帰ってきたばかりだと、だれに言うでもなく、これ見よがしに呟き、おおきなくしゃみをした。
偶然とはいえ私もこれから上海へ向かう。
なんだ目玉は私に風邪を移したヤツだったのか。
上海のものは上海に還してこようか。
文章の表現が多彩で読みながら映像が浮かび上がってきます
そして・・・・こころのなかで歌が聞こえてきます・・・『ヨイトマケの唄』が。