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  • kaminn1117

ミソノピアの風に漂いながら



エッセイ



その人




  

kaminn





《その人》のまじめな姿を見たのは、そのときがはじめてだった。 

なにげなくひらいた雑誌のページに、その人の姿を見た。 


その人はバカみたいなことばかりやっては、ひとを喜ばせるのを生業としていた。

そんなことをするその人のことを自分は好きでなかったから、その人の姿をテレビでみつけると、チャンネルをすぐに切り替えていた。 

だから雑誌のページに載ったその人のまじめな姿を見たときは目を疑った。 




ある日、わたしは映画のわずかなシーンの脇役に、その人が出ているのを観た。 

後で知ったのだが、その人のまじめな姿も一流であることを、映画監督のレジェンドは見抜いていたのだ。 


その映画の主役だった高倉健は監督の話を聞き、直々にその人に出演交渉をした。

映画「鉄道員(ぽっぽや)」のなかで、流れの炭鉱労働者役で魅せた人間の情の揺れは見事であった。


バカな姿しか見せなかったその人の、いつもとちがう人間の佇(たたず)まいをわたしは観ていた。見落としてしまいそうな僅かなシーンの、その人の演技にわたしは釘付けにされていた。 





作家綿矢りさのいう高倉健のようなプラスの不器用さではなく、その人はマイナスの不器用を持っていたのだろう。 わたしはたちまちにして静かに立つその人が大好きになった。 


それまでのわたしはその人のふざけ顔の裏側にある深い人間性を見つけることができず、目立つことだけが生き甲斐のような人たちとおなじ目線でしか見ていなかったのだ。

そう、間接的であるにせよ、知らずしてわたしは攻撃者であったかもしれない。 



その人が独身をつらぬいたわけを、有名人であることで妻や子に辛い思いをさせたくなかったということをも伝え聞いた。恋をしても愛していたからこそ結婚はできなかったのだという。



テレビで欠かせないその人は体や心の疲れを人にあかすことはなく、夜は部屋でひとり芋焼酎を片手に、親友の吉幾三のCDを聴いて泣いていたり、行きつけの居酒屋で寂し気にひとりちびちびとお酒を飲んでいたという。

笑いを届けることに忙殺されながら、最後の頼りは自分だけしかいないことを信念に、お笑い芸人でい続けようと無理をしていたのだろう。




その人の名は「 志村けん」

わたしは「志村どうぶつ園」パンくんと遊ぶその人の姿が大好きだったから、そのテレビ放送を録画して繰り返して観ていた。
























人は二度死ぬと言われている。

一度目は肉体が滅びたときと、二度目は人々に忘れ去られたとき。



いまでは当たり前のように「じゃんけん」をするときの「最初はグー」は、志村けんが最初に始めた決まりでもある。



亡くなってからもう4年。その人「志村けん」が二度死なないように、じゃんけんのときの「最初はグー」で志村けんのことを思い出したい。



この「エッセイ」が掲載される2月、その20日は、志村けんの74歳の誕生日。



「志村けんさん、お誕生日おめでとう。パンくんも元気だよ。74歳なんてまだ洟垂れ小僧なんだから、そっちでは静かで人間味溢れる役を演じましょうね」





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