
エッセイ
懐想譜1992
春が来たのに
その2
kaminn
年が明け、早春とはいえ飛騨の季節はまだ寒い。
あさいちばんの列車で、名古屋で乗り換えて神戸に向かう。
故郷の盆地を抜けた列車がおおきく左へカーブしながら、ゆっくり登りはじめた。雪を抱きつつ春を待つ景色がうつくしい。ありていにいえば水墨画の世界。雲のあわいに微(かす)かにのぞく青空は、うすずみに一滴のブルーの絵の具をたらした色。
やがてして東の山の稜線あたりから、うすい蒼(あお)を抱くのを見て、そこはかとなく名状しがたいものが胸につきあげてくる。

もいちど人生のやり直しを与えてやる。そう云われたら御免こうむりたいが、この景色との惜別は、いかんともし難いものがあり、識らず知らずに次の世界に希(のぞ)みをつないでもいる。
科学的にみれば、なにも存在しないであろう次の世界に希(ねが)いが叶うことのほうへ、いつしか私の心が傾いていた。
いやとまれ。
科学とはしょせん人間が自分の理解できる世界にだけに、ねじ曲げて創ったもの。
この世には科学で解明できないことのほうが多いはずだから、見えないものまで「ない」と言い切る私は不遜なのかもしれない。
けさ出がけに何を着ようかと迷った。
気づくとつい五年ほど前に、捨ててしまおうかと思っていた粗末な背広とコートに手がのびていた。 よかったとおもった。
神戸での仕事をおえ、ホテルへ向かうため電車を乗り換え、目的の駅に着き、改札口を出たあたりにホームレスが寝ていた。段ボールを風よけに男は寒そうに身体を揺すっていた。
エスカレータを四つ五つ乗り継いで上り、私はコンビニで夕食を二個買った。
一個の弁当とお茶は男の夕食だ。
エスカレータをふたたび下がり、改札口に戻ってみると男はゴミ箱をあさっていた。
「おじさん」私の呼びかけに、
「ハイ」と緊張した返事が返ってきた。きっと駅員にでも叱られたと勘違いをしたのだろう。

「これ食べて」と私。
「スミマセン」と男。
男から足早に立ち去りながら、こういうのを偽善というのだろうと私は思っていた。

「夢供養」という、さだまさしのベストともいえる言葉の宝石箱のようなアルバムのなかの「療養所(サナトリウム)」という曲に、
♪人を哀れみや同情で語れば
♪それは嘘になる
というフレーズがある。
さだまさしが若干27歳のときに書いた、この歌の詩の裏側にある言葉を識ったとき、私は自身を恥じた。
あくる朝、駅に男の姿はなかった。
ホームレスになったのは、男に一方的な落ち度があってのことかも知れない。いや・・・たとえそうであったとしても、こういう出会いは──辛い。
こんな私の思考に批判的な考えをする人は少なからずいることは承知している。
しかし私はこういう自分が捨てきれないでいる。
駅の改札口では今日も多くの人が出入りしていた。
なかには運命に弄(もてあそ)ばれながら、苦しみや哀しみを抱えている人もいるはずだ。
それでも人は素知らぬ顔で平然と歩き出すしかないのである。
春が来たのに・・・
私はコートの襟を立て直しながら、春寒の空に男の姿を思い浮かべていた。

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