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  • kaminn1117

ミソノピアの風に漂いながら

 

                       



エッセイ


春が来たのに

    その1



kaminn

 





今年のお正月は大地震と大事故で始まった。

元旦の夕刻、私は佐渡島(さどがしま)の「佐渡金山」にいた。世界遺産「佐渡金山」の坑道の見学を抜けた数分後に、建物が大きく揺れた。私にとって初めて経験する大きな地震であった。

 




宿泊先の旅館は海沿いに建っていたので、30メートル級の大津波警報が出ている最中、旅館と連絡が取れず、高所へ移動してのバスの車中泊を覚悟した。

先行き不安のなか、ツアー客と共に飲料と食料がわりの土産品を調達した。

 

暫(しばら)くすると旅館と連絡が取れ、津波の被害はないというので旅館に向かった。

避難場所に指定されていた旅館のロビーには地域住民であふれかえっていた。


ツアー目玉の「朱鷺(とき)」が数羽、目の前の田畑でエサを啄(ついば)んでいたり、飛び立ったりする姿を2日間に渡り見られたことは奇跡と、添乗員が話されていたのが疲れを癒やしてくれた。

 






















帰りのフェリーは欠航していたが、再開便に乗船し事なきを得た。

このハプニングに日夜奮闘され、ツアーを無事に終了された旅行会社の添乗員に深夜お礼のメールを送信した。添乗員は帰宅されたらそのままベッドに倒れ込み、朝まで爆睡したと翌朝返信メールいただいた。

 






旅の途中での日航機事故での全員脱出は奇跡と賞賛されたが、これが外国で起きていたら、かなりの人命が奪われた大惨事になっただろうと識者に異口同音に言われてもいる。

改めてCAの訓練の成果と日本人の人間性・集団統率力の高さが見なおされもした。

つくづくと「日本人」でよかったと思う。

 

大震災から10日経った現在、死者・安否不明者が300人を数えるという。

暖房のない避難場所の寒さで震えて眠れない人たちを思うと涙が出る。

 

今朝、私は施設の最上階で朝日を浴びながら、なにもなかったような朝を迎えた。

しかしながら、いろんな事情でいつ災害に遭ってもおかしくない場所から移動できなかったり、もっと安全な家屋に転居したくてもできない人たちは多くいる。


被災に遭わなかった私は「被災に遭わず幸せだった」と間違っても口にしてはならないと自戒もしている。

 

余談になるが、上述のツアーの前泊で泊まった名古屋のアパホテルの大浴場は2階にあった。

通常ホテル等の大浴場は景観のよい最上階に近い場所に設置されているが、恐らく南海トラフ地震の際、階下への水害を少なく抑えるための配慮ではないかと推察した。

 

私が「ミソノピア」に入居したことの理由に、「南海トラフ地震」の被害の薄い地理に建ち、しかも建物がしっかりしていることにあった。

 

地震と海保機で亡くなられた人たちのご冥福をお祈りするとともに、被災地の1日も早い日常の回復を心から祈念いたします。





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