ミソノピアの風に漂いながら
- kaminn1117
- 6月27日
- 読了時間: 3分

エッセイ
虫の音
kaminn(入居者)
6月も終盤、来月は夏本場に入る。
今は昔。私が育ち盛りのころは、お盆過ぎから秋にかけて寝床の中で「♪リーンリーン」と鳴く、やさしくうつくしい「鈴虫」の声を聴きながら夢の世界へ入っていった。
その虫の声が西洋人は右脳に入るのにたいし、日本人には左脳に入ってしまうことを、かつて角田忠信博士がみつけた。
日本人は母音も子音も左脳で処理をするのだが、西洋人は母音を左脳で、子音は右脳で聴いている。だから子音に属する虫の声を西洋人が右脳で聴いているのにたいし、日本人は左脳で聴いてしまうらしい。
つまり、西洋人には右脳に入る虫の声はノイズ(雑音・騒音)としかとらえられないのにたいし、日本人は虫の声を左脳で聴いてしまうために、音としてではなく左脳の働きである言葉として聴いてしまう。だから虫の音を、まるで虫が言葉をささやいているかのようにして、さみしさや、あわれさや、季節の移ろいや深まりを感じてしまうようだ。

その理屈からすると、日本人は無意識のうちに音楽を左脳で理解しているところがあるのかもと思ってしまう。
だとするとヴィヴァルディの「四季」が、日本人の好むクラシックのトップに位置しているということや、日本人ほどベートーヴェンを愛する国民はいないという話も理解できるような気がする。
つまり、「四季」のメロディーのなかに、はっきりとした季節のうつろいを言葉の感覚でイメージができ、ベートーヴェンの音楽に人生の苦悩というものを言葉のように感じとっているのかもしれない。
ところで男性にくらべ女性のほうが右脳と左脳を連絡する脳梁(のうりょう)が太い傾向があるため、右脳で感じたことや、左脳で考えたりすることが、自由に行き来できるらしいから、論理的なものと感覚的なものとがごちゃ混ぜになるケースが多いと、(一般的に)いう説もあるらしい。
かつて作家の故渡辺淳一がじつに面白いことを話されていたので紹介しておこう。
【外科手術で傷口を縫うときに局部麻酔をかけるのだが、そのとき食塩水を使用しておく。そこで女性は、食塩水を使用して縫合するとき「痛いですか」と聞くと「痛くありません」という。これが男性だととたんに「イテテ……」と悲鳴をあげるのです】
つまり女性の場合は「思いこみ」が「実際」に勝ち、男性は「実際」が「思いこみ」に勝つというのだ。男性脳は食塩水が食塩水のままであるのにたいし、女性脳は食塩水を麻酔薬に変えてしまう例としての話であった。


男と女の脳梁の太さのちがいは、神さまの何らかの計らいがあってのことだろうか。
恐山のイタコをはじめ、霊媒師や占い師に女性が圧倒的に多いことや、ことに女性が催眠術にかかりやすいと言われたり、透視術や超常現象の体験者に女性が多いような気がするのは、この脳梁の太さこそが女性脳をして夢と現(うつつ)の異同の曖昧さに誘うというのは私の考えすぎか。
さてさて。
この私の馬鹿話の切り札となるべき一冊を紹介して、この話を締めくくるとしよう。
それは「猿の手」という本である。
W.W. ジェイコブズ の著なる、僅か数ページの掌編小説はホラーもどきでとても怖い話だが、深く考えさせられる話である。

そこには私がここで言いたかった男女脳の「思考」の違いが、みごとなまでに凝縮されて描かれている。その結末の見事さは読んでのオタノシミとする。
私がながながと御託をならべた屁理屈が、もしかしたら正論ではないかという……とくとご吟読を。
私の幼少期の涼しかった晩夏の夜の「鈴虫の音」からこのエッセイが始まったが、6月にこの暑さ。この先「秋なのにまだ暑いね。いつになったら虫の声が聞こえるのかしら」と話をする日が来ることのないことを希(ねが)いながら筆を置く。


ほんとに暑いです( 一一)
きっと・・・・茅ヶ崎海岸では、夏に向けて「海の家」の準備がはじまったことでしょう
きっと・・・・サザンオールスターズ “思い過ごしも恋のうち”♪ 歌が流れることでしょう♪
きっと・・・・男女のそれぞれの気持ちって、心?脳?・・・どこにあるのでしょうか?