ミソノピアの風に漂いながら
- kaminn1117
- 4月14日
- 読了時間: 4分

エッセイ
解かない魔法 解けない魔法
kaminn
老後の手すさびにと、マジックを習いはじめたことがあった。
もうかなり昔の話だ。主に「トランプ」を使ったマジックだったけれど、いい線まで行っていたと思うのは自画自賛か。
いま住んでいる「館(やかた)」ではいろんなイベントがよくある。
音楽のジャンルが多いが、さまざまな演出で楽しませてもらっている。

もし私があのときのままマジックを続けていれば、きっと喜んでもらえるだろうにと思うが時すでに遅しである。
そんなこともあって、テレビのマジックショーは欠かさず観ている。
ある日のこと、テレビ番組でマジシャンの男性が外国の貧しい村で子らにマジックを見せていた。
収録テレビ局のスタッフが子らに問うていた。
「あなたたちの夢は?」
「大きくなったら、なにになりたい?」
ほとんど子らは黙して語らずであった。
シャイなのではない。
貧しい暮らしの中で、将来の夢やなりたいものがつくれる生活環境でないのだ。
娯楽がほとんどなく、ゆとりのない彼らにマジックを見せたところうで、喜んでくれるだろうか。マジックの実演の前にスタッフは悩んでいた。
ところがどっこい、マジシャンのマジックに子らは大喜びなのであった。子らだけではない、大人だって老人だって大喜びである。老若男女を問わずマジックは万国共通の娯楽なのだ。
とそのとき、ひとりの男の子がマジシャンに話しかけた。
「お嫁に行くお姉さんに、ボクのマジックをプレゼントしたい」
男の子はマジシャンに教えをこうた。結婚式は二日後であるという。

翌日マジシャンは男の子にマジックを教えた。
かなり難しいマジックだったけれど、ほぼ一日かけて男の子はなんとか習得した。
もちろん教授料など男の子からもらえる筈はない。


結婚式の当日、男の子は姉にインスタントマジックを披露することになった。
狭い空き地に椅子を並べただけの式場に参列者が肩を寄せ合い座っていた。
式も終盤。男の子のマジックの番がきた。
男の子のぎこちない手つきの手品はそれでも見事にやり終え、参加者の拍手喝采を受けた。会場の片隅で固唾を飲んで見ていたマジシャンとスタッフは目頭をおさえていた。
それはそれは感動のシーンだった。
もちろん、だれひとりとして、男の子のタネを見破ろうとする者はいなかった。騙(だま)された者、騙されたフリの者、みんなが温かい拍手を贈っていた。
フィナーレは花嫁、花婿の胴上げに、そしてそしてマジックをした男の子もおまけに胴上げをされた。全員の笑顔が涙でクシャクシャになっていた。
世界の片隅の見知らぬ田舎の質素でささやかな結婚式は、きょうから別々に暮らすことになる姉弟にとって、一生忘れられない宝物になったにちがいない。
さてお立ち会い。
マジックは「嘘八百」の世界である。
上手下手こそあれ、すべてにタネがある。世の中には、それを鵜の目鷹の目、よってたかってタネばらしに目の色をかえる者がいる。
大人げないというか、なんと夢も希望もない人たちであろうか。
マジックを見る立場の者は、たといタネバレになっても失敗しても騙されたふりをする。
私はそういう人間でありつづけたいし、そういう人間が大好きでもある。
ところがどっこい。
そう言う私がどうしたことか、必死になって解こうとしている魔法があるのだ。
それは、どうして私はこの大宇宙に無数にあるという生命の惑星のなかの地球の、この国のこの時代のこの街のこの両親を親としてこの生を受けたのか?
この魔法をかけた怪(け)しからぬ魔法使いの正体は「神のみぞ識る」とでもいうのか・・・
【小さなお知らせ】
昨年7月7日に掲載のエッセイ「フジコ・ヘミングを偲ぶ」のなかの「最期の演奏」の動画をどなたかがシェアしてくれた。
その結果、現在その動画の閲覧数がなんと「8万回」に迫っている。
私の手違いで過去のエッセイの画像が削除されてしまったので、ここに再掲させていただく。
「フジコ・ヘミング最期の演奏」※ピアノソナタ第11番 K331イ長調 第一楽章
【小さなお知らせ】こそ(^_-)-☆ 本当の“魔法”なのでしょう
こんなすてきな気持ちこそ、世界中に魔法がかかったことでしょう(^^♪