
エッセイ
小さく生きる/辻仁成
そして中山美穂
kaminn
2025年最初のエッセイは「辻仁成」の話を書こうと昨年末に考えていた。
時を同じくして「中山美穂」の逝去の知らせが入ってきて驚いた。
中山美穂は一時期、辻仁成と結婚をしていて一男をもうけている。
その後、一人息子の十斗(じゅうと)君の親権を辻が受けることで離婚が成立した。
私は日々更新される辻のBLOGを拝読させてもらっているが、シングルファザー辻仁成は人間としても、父親としても、芥川賞作家・ミュージシャン・画家・料理人・映画監督のどれをとっても超一流のマルチ人間であることに驚いている。




息子の十斗君は辻が実に立派に育て上げて、現在はフランスパリの大学生になっている。
メディアに現れないが、辻のBLOGの端々から才能豊かな青年に成長していることが窺(うかが)われる。


幼い日の十斗くん ※ネット公開より
辻は365日一日も休まなかったBLOGを中山美穂の訃報を受けた日は休筆して、終日十斗君に寄り添い中山美穂の冥福を祈っていた。
そして、何よりも中山美穂が幸せを願ってやまない息子十斗君が、目覚めのない眠りについた中山美穂の枕元に駆けつけ、手を繋ぎ、そっと寄り添った。
それは10年ぶりの母と子の再会であった。
さて、私が書きたかったのは辻仁成が昨年11月に書いたBLOGの内容に強い共感を覚えたので、彼のBLOGを僭越ながら一部割愛し、ここに紹介させていただく。
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「小さく生きる人生の選択」 辻仁成
やはり、あらためて、小さく生きようと思った。
世界はもはや、ぼくが若い頃に見ていたものとは、ぜんぜん違うものへと変貌を遂げてしまった。その速度についていくのがいやになったし、くだらないと思うようになった。
貧富の差ばかり広がり、若者が戦争で死んでも気にしない独裁者ばかりが跋扈(ばっこ)して、それを一部の人たちが支持して、もう逆らえない雰囲気、空気が蔓延(まんえん)している。
なんだか見ていられない世界になってしまった。
文化というもの、民主主義というものも、メッキが剥がれ始めている。
人口も増えすぎているし、全人類がもはや幸福になりえる世界はあり得ないだろうし、コメンテーターの声だけが響き渡り、そういう意見に「うんざり」もう、いい、と思った。
心を何ものかに破壊される前にぼくは、ぼくがぼくでいられる「静寂」を手に入れなくてはならない。
それは「小さく生きる」ということなのだ。
人里離れた場所に小さな「新世界」を創る。
自分の世界の中で、静かに、生きる。
誰にでも「小さく生きる」選択肢はそれこそ無数にありうるのだ。
ぼくは自分の人生を満喫してこの世を去りたいと思っている。
死後の世界に期待などない。
前世など関係ない。
今生の与えられた一生をフルスピードで駆け抜けてみたい。
それが人生からの贈り物だ。
毎日毎日を丁寧に生きることでのみ、この不安定で不安だらけの世界を乗り越えられると考えている。
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あとがき
辻仁成は決して人の悪口を言わないし、自分への悪口や批判への反論もしない。
なによりも「あの人は優しい、と誰かが呟く瞬間がぼくは好き」という辻の言葉に彼の人柄のよさが凝縮されているような気がする。
辻仁成は離別した妻中山美穂の死について、その後彼のBLOGでまったく触れていない。
そして今、彼のBLOGは日々の「料理を作る」ことしか書いていない。



中山美穂の訃報を知った日、辻仁成が十斗くんと実際に見あげていた
フランス・ノルマンディの空
もう少し・・・時間が流れたら、「春」の季節
春は、「桜」と人は言いますが、ぼくは、「菜の花」が好きです
花の黄色がも好きな理由ではありますが、「花言葉」が好きです
菜の花の花言葉 → 『小さな幸せ』(#^^#)
これがいちばんうれしいと思える人生を送りたいものです( `ー´)ノ