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kaminn1117

ミソノピアの風に漂いながら





エッセイ



ベランダでにて

     そして故郷とは

 

 

kaminn




入居して3年になる。

歳を取ると恐いモノがなくなるというが、老いの暴走を楽しませていただいている。

食堂の匂いに誘惑されることがあるが、ボケ防止を言い訳に、ささやかながらの三食自前で頑張っている。

 

ここで自室の「ベランダ」の話をしてみたい。

なにしろ広いのだ。跳んだり跳ねたりできそうだが、それはそれとしてラジオ体操くらいは問題ない。

幾鉢もの植物を育てて見える人も多かろう。








プチ森林浴も・・・








部屋は最上階だ。以前のエッセイで記したが、私は超のつく「高所恐怖症」なのだから、入居当初はベランダに出ることすら怖くて足がすくんでいた。

洗濯物を干すときは、まさに床に這うように、外の景色には目を逸(そ)らし、めまいを必死に堪えていた。

 

それがどうしたことか、高所恐怖症は慣れるのである。

手摺りに掴まって下を覗くことはまだできないが、今ではベランダを楽しんでいる。

 

ベランダでの一番の楽しみは、夜明けとともに眺める朝焼けである。







するうち朝焼けの空に、鳥たちが浮かびはじめる。

群れ飛ぶ鳥たち、つがいの鳥、はぐれ鳥などを眺めながら、独り身の私は一羽で飛ぶ鳥を見ると、

 

「お前も独りか 頑張れよ!」

 

と呟いたりする。

 






















目を転じてエレベーターホールから瀬戸の町並みを眼下に見る夕焼けは、ときとして世界の果ての絶景のような眺めを見せてくれることがある。

















 






                スーパームーン


そうだ。

ベランダから遙か彼方の空の下には、私の故郷があるのだ。

生まれ育った第一の故郷「飛騨の地」、やがて転居した第二の故郷「東濃の地」がある。

そこには幾つもの想い出がある。

楽しさや喜びより哀しみや辛かったことのほうが多かったけれど、人生の黄昏時を迎えた今、すべての想い出をかけがいのない懐想へと変貌させてくれる奇跡があることをも知る。

 

「ふり返る場所があるとき、人はそこを【ふるさと】と呼ぶ」

 

いまでは旅に出たとき、想うのは「ミソノピア」のことである。

第二の故郷を離れて3年、そしていつしか私には「第三の故郷」ができていることに気づかされもする。

 

おのれの「イノチ」は60年で断つと決めた53歳の春、私のイノチを救ってくれた大恩人に出逢った。その日から30年もの長いイノチをいただいた。

 

そして今日からミソノピア入居4年目がはじまる。

私はこの「第三の故郷」で、この先もいくつかの想い出を紡ぎ出しながら歩きはじめる。





         2024年辰年正月

           「二匹の龍」








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