
エッセイ
懐想譜/大江健三郎その1
ユーモアとジョーク
kaminn
先日、録画済みテレビ番組を整理していたら、10数年前のNHK「100年インタビュー/大江健三郎」が出てきた。
彼が亡くなってもう1年以上になるが、思い出したことがある。
大江健三郎の話は面白かったのだ。
彼の小説は自分のような頭ではついていけないが、話は分かりやすく、ときにユーモアを交えて楽しませた。
欧米では男性のスピーチにはまずジョークがつきものであるらしい。
それはなにもあらたまった場所、あらたまったスピーチにかぎらない。
もっといえば、彼らは「今日の夕食は、どういうジョークで始めるか」ということを考えるだけで生きているといっても言い過ぎてはないという。
はて、考えようでは自分の魅力のなさをジョークにすり替えてしまおうという魂胆なのであろうか・・・
ジョークというのはただ笑いをとるために相手をけなしたり、下品な言葉で笑いをとる行為も含まれているが、ユーモアは言葉に品があり相手を和ませたり、場の空気を温かくする力がある。
大江は言った。
「どうしたら相手を笑わすことができるのかを、たえず考えています」
彼もまた人を笑わせるユーモアを生き甲斐のひとつに数えてもいたのだ。
大江は大学時代自分のケンザブロウという名を「ケンサンロウ」と呼ぶのが正しいのだと真面目に言っていたという。大江の故郷の四国ではそういうのだといい、弟の征四郎は「セイヨンロウ」というと言った。もちろんこれは人をして面白がらせたいというユーモアなのだ。


大江の若い日のこと。映画館で前の席で母親に抱かれた幼児が、大人の映画に退屈をしてむずがるのを見て、人より大きな耳を持つ大江は、手で耳をひらひらうごかして、「ダンボ、ダンボ」といって喜ばせた。
面白がり、もっともっととせがむ幼児のために、とうとう映画の終わるのまで続け、肝心の映画は観られなかったそうだ。
いかにも福耳を持つ大江の人柄とユーモアがあいまったエピソードである。
耳といえば、人間の感覚で最後まで損なわれないものが「聴覚」であるらしい。
生死の境を彷徨(さまよ)われる病人の枕元で、病人の悪口を言わないことだ。病人にはしっかりと聴こえているのだから、せめて冥土の土産にと褒めたたえたいものである。
私の今際(いまわ)の際のとき枕元で囁かれる言葉はなんであろうか。
しかしここにきて、はたと困った問題に行き当たった。
私は難聴なのだ。補聴器のお世話になっていて、補聴器なしでは人の話は聴き取れない。
それはそれとしても、病床で今際の際には補聴器は外されているにちがいない。
間際だから、だから「補聴器を……」などと言えるものでもない。

希(ねが)わくば……。
嗚呼……。
冒頭で記した「ジョーク」では忘れられないものがひとつある。
あるとき、ご夫婦が仲良くゴルフをなされていたときのこと。
奥さんが放たれたボールが見事にグリーンに乗り、最後の一打でカップに入るか入らないかの微妙な位置にボールを付けた。
それを見た奥さんが思わず叫んだ。
「このボールが入ったら死んでもいいわ」

そばで見ていた旦那がこっそり呟かれた。
「そのボールOKね」
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