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ミソノピアの風に漂いながら



エッセイ


フジコ・ヘミングを偲ぶ

音楽・もうひとつの力

 



kaminn




今年4月に92歳で亡くなった世界的ピアニストであるフジコ・ヘミングは忘れられない。

 

彼女を襲った幾つもの不遇と不運が、その後の人生に「輝き」をもたらすとは誰も想像をしえなかった。

 

16歳、中耳炎で「右耳」の聴力を失う。

 

「無国籍」であることが判明したが、難民としてドイツへ渡航する。

 

38歳、ピアノの才能を世界的名指揮者バーンスタインに認められ、ウィーンで「ピアノリサイタル」が開催されるという世界デビュー直前、高熱で聴力の残されていた左耳も聴こえなくなり、リサイタルは中止となる。

 


















以来、ドイツでピアノ教師とささやかなコンサートなどをして生計をつないでいたが、63歳のとき母の死で日本に帰国した彼女は、母(日本人)がドイツで手に入れた美しい作りのピアノを死ぬまで愛し大切にして弾き続けた。






しかし神はフジコを忘れてはいなかった。

67歳、NHKのドキュメンタリー番組で彼女が取りあげられ、それを機に彼女を一躍世界的名ピアニストとして押し上げていった。

 

彼女の話で私が最も影響をうけて大切にしているのは、彼女が4歳で母親からピアノの手ほどきを受けたとき、母親の言葉に内心強く反発した以下の言葉である。

 

「ピアノのレッスンのとき、母親にいつも怒鳴られるのよ。【楽譜どおりに弾きなさい】って。だって演奏するとき譜面どおりに弾いたって意味がないでしょう。機械じゃあるまいし。人が弾くのだから心を弾かなければね」

 

そして彼女は言いました「私の演奏はミスタッチがとても多いのよ。私よりうまいピアニストはいくらでもいるけれど、大切なのは自分らしく弾くことなの」と。

 

彼女の演奏には心を深く動かすなにかがあった。

彼女の演奏を聴きに行く人たちは、テクニックだけの演奏ではなく演奏の背後に流れる彼女の「人生」そのものを聴いていたのだ。







私はフジコの姿を追い続けているなかで、もうひとつの「音楽の力」を考えるようになってもいた。

楽譜どおりに正しく弾くにはコンピューターに弾かせればことたりる。

音楽とは演奏者が音や声を通して聴き手の精神に入っていくもの。

デジタル(AI)にはないアナログ(NI:Nature Intelligence)でしか表現できない「こころ」を奏でることの大切さこそが「音楽の力」だと。

もちろん私には月へ行くほどの道のりであるのだが。






ピアノ演奏の傍らで、生涯にわたり猫を愛し続け、動物救済・愛護の支援、東日本大震災復興支援、ウクライナ支援などをしつづけ、決して人に媚び売らない彼女のご冥福をお祈りする。

 






フジコは68歳での世界デビューは遅すぎたと言ったが、もしも彼女がバーンスタインに推されてのピアノリサイタルが実現していたら、これほど全世界の人たちから注目され愛されることはなかったと考えられる。

 

人生に遅すぎることはない。私は彼女の遅咲きにこそ心から拍手を贈るものでもある。

 

今年の春にはフジコの代名詞となるリストの「ラ・カンパネラ」の原曲を作曲したパガニーニの生誕地イタリアへの演奏旅行をとても楽しみにしていた。

その夢の最中、フジコは昨年11月2日、自宅の階段から転落し大怪我を負い、その後膵臓癌も見つかった。

 

入院先で治療とリハビリに励んでいたが、耳はほとんど聴こえず、目も見えない状態でピアノに向かう意欲はなくなっていたが、ある日フジコはピアノに触るだけでもと病院のピアノの前に座った。

 

やがて見えぬ目と聴こえぬ耳で、一音一音確かめるようにピアノを奏で始めた。

その曲は幼いころ弾いていた「モーツアルトのピアノソナタ※1」であった。

 

それは哀しくも優しい曲だった。

曲こそ違うが、奇しくも私が唯一愛したモーツアルトのピアノソナタ※2でもあったのだ。






      動画(▶をタッチ)



そのとき彼女はもう天国への階段を上り始めていた。

神を信じ天国へ行けることをとても楽しみにしていたフジコは、人生最期のピアノを弾き終えると自らの手でピアノの蓋を閉じ、生涯愛し続けたショパンとモーツアルトに逢うため天国へと旅立った。

 

 ※1 ピアノソナタ第11番 K331イ長調 第一楽章

 

※2 ピアノソナタ第16番K545ハ長調

 

 

 

あとがき

 

私はフジコに学んだことがある。

フジコは死んだら天国に行けることを信じていた。そこで神、そして大好きなモーツアルトやショパンに逢って話すことをとても楽しみにしていた。

生前彼女はそのことをくり返して話をしていた。

私は神や天国の存在を全否定するものであるが、神や天国を信ぜず暗い世界に向かって死を迎えるより、天国に行って神や親しかった人と逢えることを信じ、明るい気持ちで「光」に向かって死を迎える方が、よほどいいことをフジコに教えられてもいた。

 




閲覧数:72回2件のコメント

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2 Comments


misonopia aichi
misonopia aichi
Jul 07, 2024

朝5時、犬の散歩で一時間歩き、汗を拭きながら拝読しました。

一気に、心から汗が心地よく感じ、読み終わるころには・・・・

意味のないことはなく・・・必ず、意味あるものになる

『雨が降らなければ、虹は出ない』

                        ・・・清々しい『なにか?』を感じました。

ところで・・・・(⌒∇⌒)

譜面どおりに弾かなくていのは、“ピアノ”?だけ(笑)?

                            ・・・・バイオリンは(笑)?

hiroi.k

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諒 牧村
諒 牧村
Jul 07, 2024
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コメントをありがとうございます♪ たしか「絵手紙」の評価で多用されていましたが、「ヘタウマ」という言葉があります。

技術的には下手の領域を出ていないけれど、どこか「味がある・人を惹きつける何かを感じる」絵画・揮毫・演奏などを指します。


私はことに障害者が描かれた「絵画」の類いにそれを強く感じます。

フジコ・ヘミングのファンの多くは、彼女の演奏そのものではなく演奏する姿そのものに「彼女の人生」を聴いているのではないかと推します。 ヴァイオリンも譜面どおりではなく、是非「心」でお弾きください。


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