エッセイ
犬と暮らした日々
そして別れ
kaminn
犬は人間の4~7倍の速さで成長するという。
コーギーの平均寿命は14歳といわれている。そのころのモモは人でいう壮年期を超え老年期に入っていた。それでも相変わらず猫のように飼い主に付かず離れずの付き合いだったが、言葉がなくともお互いになくてはならない存在には違いなかった。
当時は朝食をすますと、寝床に入ってうれしそうな声を立てていた。
機嫌がいいときの声だ。
その声がしなくなって静になる。見るに寝床で丸まって寝ている。ぐっすり寝ているように見えるが、わたしが動く気配を感じると薄目を開けてわたしの様子を窺(うかが)っている。
「どこにも行かないよ」と声をかける。
いや、わたしの方こそモモにそばにいてほしいのかも知れない。
そんなモモとの「楽しい」暮らしにも日が陰り始めていた。
12歳ぐらいから、モモは病気がちになり通院が多くなった。
心臓、肝臓、腎臓に問題があった。
13歳になったときのこと。朝起きて居間に行くと、モモは倒れて全身痙攣(けいれん)をしていた。
診察の結果は脳梗塞で心臓の周りに血が溜まってもいた。
一進一退の病状は数ヶ月続き、月に数度の入院生活が始まった。それでもモモは辛さを態度に表さず、散歩も喜んで出掛けた。(脳梗塞は誤診?)
やがて体のあちこちの毛が抜け始め、日中もほとんど横になっていた。
先が見えはじめていた。いつ別れがきてもおかしくない。
ある日モモを撫でながら散歩に行くか? と言うと、よろけながら玄関に向かい出す。
リードをつけて玄関を出ると、モモはたどたどしい足取りで裏庭に向かった。
少し歩こうかと言うと、モモは数歩歩くともう動けなかった。
それは僅かな道のりの散歩だったけれど、モモにとっては長い長い道のりだった。
そして、それがモモの最後の散歩となった。
わたしは泣きたい気持ちを必死に堪えていた。
状態がよくないので入院させましょうという獣医のすすめで入院をした。
2日後、獣医から深刻な状態だから、このまま病院で看取るか、家で看取るかという選択の電話があった。わたしは家に連れて帰った。しかしモモはもう歩くことができない。
スポイトで水を飲ませたら美味しそうに飲んだ。
それでもモモは必死に動こうとしていた。前足だけで体を引きずるようにして動いたけれど、わずかな距離でしかなかった。
モモの目はもう向こうの世界を見ていた。
モモにかける言葉をなくしたわたしは襖(ふすま)1枚隔てた寝室に向かった。
翌朝襖を開けるとモモは襖に頭を付けた姿で亡くなっていた。
モモは最期の力を振り絞ってわたしに別れを告げに来ていたのだ。
モモの姿を見るのが辛く、看取ることができなかった薄情なわたしはモモを抱きしめて落涙した。
13歳11ヶ月の命だった。
動物病院の担当医にモモの死とこれまでのお礼を伝えた。
近所の犬友の女性が二人で別れを告げに来て、モモの遺影を撫でながら泣いていた。
わたしはモモの「血統書」をあらためて読んだ。
付けられた名は「ALINDA(アリンダ)」。立派な名だった。
どこかの国の王室のお姫さまのようだと思った。
世が世ならば・・・
モモが亡くなってほぼ1年になろうか。
わたしはモモとよく散歩をした公園にでかけた。天気のよい日にはベンチに並んで腰掛けては沈みゆく夕陽を二人して追いかけたりした。
そこはモモの大好きな場所で大好きな夕陽があった。だからなかなか帰ろうとしなかった。モモと言葉は通じないけれど、わたしたちは心の深いところで共感し合っていたのだった。
独りベンチに腰掛けて夕陽を眺めながらわたしは、モモがわが家に来てくれた日のことを思い出していた。
14年間ありがとう。
長かったかい、それとも短かったかい。
楽しかったかい、それとも・・・
《おしまい》
『わたくしの方こそ モモにそばにいて ほしいのかも 知れない』
この一文に、一気に涙しちゃいます
大きく同感です!
好きな唄の歌詞に・・・
『 男はなぜに 夕陽をながめると 切なくなるのか 海に沈んでゆく 残り時間を 』
とあります。
“永遠” を 「とは」と読ませることがありますが、
本気で教えてもらいたいです。「永遠とは?」