
エッセイ
犬と暮らした日々
コーギー・その1
kaminn
「犬が独り、じっと遠くを見ている後ろ姿が好きである」
これは作家故伊集院静の言葉だ。
わたしもそう思う。
写真はわたしが住んでいた家の居間から、犬の出入りするために開けた犬専用通路の先にすわって、じっと玄関の先を見つめている愛犬の後ろ姿だ。
わたしはこれまで犬を3匹飼ってきた。最初の2匹はわたしがまだ若い時代のころのことだ。若さのせいにしたくはないが、あまり可愛がることはなかった。
その反動もあってか、最後に飼った3匹目のこの写真の犬だけは、とても可愛がって育てた。
犬は妻の忘れ形見である。
ブリーダーから飼う段階で雌犬を希望したら、「美犬にしますか?」と訊かれた。美犬だと1万円高くなるという。
1万円の差なら、可愛い犬がいいと妻は「美犬」を即決した。

犬種は「コーギー」。
英国の王室で愛された犬種で、アメリカの絵本作家である故ターシャ・チューダが何匹も飼っていた愛らしい姿が決め手となって飼うことにした。

名はミヒャエル・エンデの小説『モモ』に登場する少女の名を拝借して「モモ」とした。

お昼寝
コーギーは短足で尻尾がない。牛追いのための犬に改良されたので、牛に尻尾を踏まれないように生まれたとき尻尾が切られているのだ。そのことを知らずに買ったから、もし知っていれば尻尾を切らない子犬を選んでいただろう。
犬の喜怒哀楽は尻尾の状態で見当がつく。犬は嬉しいときは尻尾を大きく振り、恐怖に落ちいっているときには尻尾は後ろ足の間に下げてしまうから分かりやすい。
よって尻尾がないモモは感情がまことにわかり難い。
だから、もしも「モモ」とトランプのポーカーでもしたら、モモにいい手がきても尻尾は振ることがないから、モモのポーカーウェイスにわたしは負けてしまうだろう、などと馬鹿なことを考えた日もあった。
ように生まれたとき尻尾が切られているのだ。そのことを知らずに買ったから、もし知っていれば尻尾を切らない子犬を選んでいただろう。

モモの尻尾(?)
いにしえの諺に「夜目遠目笠の内」というのがある。
そのように、女性はおぼろに見えるほど美人に見えるというが、美犬で頂戴したモモは成犬になっても、遠目はもとより近目も正真正銘の美犬なのである。
だからモモを散歩させていると、老若男女を問わず、「あら! 可愛い」とばかり近寄られる人が多い。
そこで問題が起きてしまう。


わが家のモモは人馴れしていないのである。
人が声を掛けようが、近寄ろうがモモは一瞬にして歯を剥き出して吠えるのである。
だから「あら! かわいい。撫でてもいいですか」と近寄ってくる人は、皆さん踵(きびす)を返して去ってゆく。
何人の美女が去って行ったことか、ああ……。
モモ曰く「いい歳こいて」と言ったとか・・・
一文一文(#^.^#) 納得です(^^)/
とくに・・・「近寄ってくる人」 に勘弁"(-""-)"
うちのミニチアシュナイザー「リベくん」も
「かわいい」と声をかけてくださった方に・・・・・「わん‼」です(# ゚Д゚)
いっしょに歩いているこちらは・・・"(-""-)"